休憩モード

休憩中に書きました。

図書館総合展in塩尻(2016/07/02)

図書館総合展in塩尻http://www.libraryfair.jp/news/3461 )に参加した。フォーラムのテーマは「出版と図書館の未来図」。長野県に縁のある出版社の社長そろい踏み。このような場で,出版社の社長の話が聞けたというのはとても得難い経験になった。

個人的には,持谷寿夫氏(みすず書房社長,日本書籍出版協会 図書館委員会委員長)の話について,いくつか重要な指摘があったと思う。論点整理が必要かと思うが,私の印象に残った点をメモしておきたい。

持谷氏の話の中には,例えば下記のような点が指摘されていた(以下は筆者によるまとめであって,必ずしも,発言順ではないし,当人の意図を汲み損ねている点もあるかもしれない。)。

  • 出版業が厳しいということと出版が厳しいということはイコールではない。厳しいのは業としての出版である。
  • この点を踏まえ,図書館に対して働きかけたいこととして,出版情報(どんな本が発刊されるか,なるべく早く詳しく,図書館に提供して,可能なら予約してほしい)を提供したい。
  • また,書店や著者を巻き込んだ展開をしたいと考えている。以前よりは協働しようという出版社の姿勢が見えるので,積極的に声をかけてほしい。
  • 図書館には,本を紹介してほしい。どんな形でも構わないから,人が本に出会う場所を提供してほしい。実際に手に取ってみる体験の提供,本の再生産の循環の一つに図書館を位置付けたい。

この中でも,「循環」という語はキーワードだろう。本の再生産という語は用谷氏の術語であるが,私はこれを知の再生産における循環と解している。持谷氏の前に登壇した岩波書店の岡本厚社長が講演のなかで,「近代」という社会構造に出版が果たした役割を述べていた。つまり,近代は出版産業が知的基盤を構成するための主要な知を提供してきたのだという。この提供された知は,さらに再生産を経て,新たな知を生み出すという循環がその背後に見えるわけだが,一方,岡本社長は,今日のソーシャルメディアがこの循環を断ち切る可能性を示唆している(氏は,ここまで明確な物言いはしていない,念為)。岡本社長から,ソーシャルメディアは自分に近い考え方を積極的に取り入れてしまい,そこに分断が生じているのではないかという指摘があったのもこういった背景によるのだろう。

さて,出版も図書館も,その活動には,何らかの知識や情報といったものを人(読者,利用者という用語の差はあれども)に届けることが多くを占めている。このことは,今回の総合展で登壇された出版人の言を待つまでもなく,一定の共通認識を得ているものだと思われる。知識や情報は届いて終わるということはなく,何かしらの知識や情報を生み出すことへつながっていく。その活動には終わりがなく(つまり,始まりもない),活動にかかわる主体がそれぞれ存在しているに過ぎない。

そういった主体の大部を出版が占めていた。持谷氏の言い方では,業としての出版が占めていた,ということになろうか。ところが,業としての出版が厳しい状況下に置かれるようになってきて,この循環にかかわる主体を全体的にとらえようという流れになった。循環を担う主体は,出版だけではなく,図書館もということだろう。当然,これはとらえ方だけの問題であって,図書館の本質的機能には何ら影響はない。従前から図書館は知的生産の場としても存在しているし,知の再生産に寄与していることは間違いない。

おそらく,大きな意味としては,それぞれが独立して知の再生産における活動主体たり得ている,という方向から,出版も図書館も独立した主体ではありながら,しかし,相互に連携協力していく,という方向への転換だろう。具体的な動きが各地でおこり,出版でも図書館でもその動きが共有され,社会的にも共有されていくようになるだろう。そのためには一定の努力が必要だし,働きかけも必要である。出版も図書館もそれ自体が主役ではない。何かしらの活動をする人のためにある存在である。社会的な共有を目指すために,出版と図書館の協働が必要なことは明白だろう。